FM三重「ウィークエンドカフェ」2012年4月14日放送

今回のお客様は、三重県立熊野古道センター長の川端守さん。
海山から尾鷲に抜ける熊野古道の1つ、馬越峠の上り口にある素敵なカフェ『山帰来(さんきらい)』のオーナーでもあります。

『山帰来』に入ると薪ストーブがお迎えをしてくれます。
ストーブからの懐かしい香りは、心が穏やかになりますよ。

■薪のある生活には広い場所が必要!

ここ『山帰来』は本当にわかりづらい場所にあるんですよ。
それでも那智の方からも、わざわざこの店を目掛けて来てくださる方もいらっしゃいます。
店に来る最後の最後の道が細くてね、下の方の道から、
「どうやって行けばいいんですか?」
という電話をもらうこともたびたびです(笑)

そしてこの薪ストーブ!良いでしょう?
薪のある生活というと、暖炉があって、火が燃えていて洒落ている…なんて想像する人が多いですが、あれは一部!
ええとこの人です(笑)
薪のある生活をするには、まず、広い場所が必要。
薪の原材料となる木を、運んだり置いたり、その後はチェーンソーで切る作業…広くないとできないでしょ。
薪を作ったら、それを積む場所もいります。
そういう点では、街中(土地の高いところ)は適地じゃないです。
町外れで、土地が安くて広くて、山に近い所…これが薪のある生活です。

もちろん『山帰来』があるのも、そんな場所です(笑)
だからこそ、尾鷲の町が一望できるんですよ!
海は見えないけれど、夜、町に明かり灯ると、その様子がよく分かります。

陽がさんさんと輝いている日中よりも、暗がりのほうがよく見えることがありませんか。

昼の尾鷲も見えているけど、なんとなくぼんやりしているような。
夕方から夜にかけて暗くなり、明かりが灯る時間帯が、尾鷲という町がクッキリ浮き上がる気がします。
例えば九鬼から来る道なんかも、昼間は気づきませんが、夜になると車が通るのが見えるでしょう。
灯りが通ってゆくのを見て、その流れがわかるというかね。


■人生は山歩きと一緒

僕はかつて、尾鷲高校のワンダーフォーゲル部の顧問をしていたんです。
部員数は4~10人くらい。
山のクラブなので、顧問もだいたい2人なんですね。
一人はしっかり生徒たちと歩けて、テントを立てながら、本格的な指導をできる人。
もう一人はもうちょっと年を取っていて、若い教師の相談相手になれる人で、バランスを取っているわけです。
僕はもちろん後者。
「山の中ではもっとゆっくり歩け」みたいなこと言ってね。

実は山歩きを始めたのは、ワンゲル部の顧問を始めてから。
だからというか、最初からあまりガツガツ行かないというか、ゆっくり歩いて楽しもう、みたいな気持ちでした。

現在は山登りの会『東紀州10(てん)マウンテンの会』の会長をしています。
山登りは年に10回で、参加は平均50人、やはり年配の参加者が多いですね。

だいたい一番後ろの方から、トコトコ登っていくのが僕。
速いペースで登る人もいるけど、そういう人が全体のペースを作ってしまうと、必ず落伍する人がでます。
僕みたいな弱いのが2~3人、トコトコ歩いていると、全体のペースがゆっくりになる。
早い人は不満かもしれないけど、皆さんゆったり歩いていますね。

本当は先頭を歩く人がペースを心掛けるべきなんですが、実際は、先頭の人が後ろの歩調を見ながら歩くのは、難しいことなんです。
ベテランにならないと…人生も同じです。
先頭をしっかり歩ける人もいるけど、ひとりでサッサと歩いて、後ろを振り返ると誰も付いて来ていない…そんな社会人もいるでしょ。

高度最長期は「歩け歩け!走れ走れ!」が美徳だと思われてきましたよね。
山歩きも、早いペースで登っているのを見ると、やはりカッコイイですよ。
そして周りの人もスゴイって感心するでしょ。
そうすると余計に調子づいちゃってね…人生でも山歩きでも一緒。
あんまり早いペースは無理が出ますよ。


■感激のある山歩きを!

最近は、サッカー、野球、バスケット…今の子供たちには、面白いスポーツがたくさんあるでしょ。
それに比べたら山歩きなんて(笑)
重たい荷物持って、顧問に叱咤激励されて山に登ってね。

まあ、それが本当の楽しみだと思える子は素晴らしい!
そういう子を育てなければならない!

…しかし普通は、そんな体験したら、「こんなの二度とやらん」ですよね(笑)

だから、三重県でも山岳部はかつての半分にまで減ってしまっているんです。
山登りは本当は面白いんです。
ワンゲル部や山岳部が魅力あるクラブということを子供たちに伝えたい。

それには感激のある山歩きをさせないと!

雨の中を文句言いながら歩いて、雨の中テント立てて、また畳んで…しかも雨に濡れたテントって重いんですよね。
これはやっぱり楽しくない。

自分のペースでふうふう言いながらも歩いて。
3000メートル級の山に昇って、尾根に出たらぐわーーって世界が広がって、谷から谷へ爽やかな風が吹き抜けて!
…というのを経験させると、しんどいけど素晴らしいとわかってくれます。
それをしんどいところだけ教えて素晴らしいところを教えないっていうのは、鍛錬主義あり根性主義です。
そんなのは、今も昔も流行りませんよ!

オリンピックなどでのスポーツもそうでしょう。
おそらく鍛錬主義を抜けたスポーツのほうが、記録が伸びているんじゃないかな。
やはり、苦労があったら感激もあってね。

人生もそうですが、苦労と感激はセットでないと。
一生懸命働き続ければ、山頂に登って、景色が広がって、ええ風が吹いてくる…みたいな成果が欲しいですよね。


■江戸時代の旅人の姿

僕は今、江戸時代の人々がどのように旅していたのかを調べています。
旅人の姿は実に多様です。
『三重県立熊野古道センター』では東北から四国まで、300近い道中記を収集しています。
その中には、旅人がお伊勢参りと一緒に、熊野三山を歩いたものも多いんですよ。

道中記というのは、すべて書いた人がいて、例えば『何々村のなんとかさん』という人が書いたものなんだけど、それは字が書ける層…つまり、ある一定の教育を受けている人たちなんですね。
例えば庄屋さんとか。
だから道中記だけを見ると、尾鷲の旅籠に泊まったり木賃宿に泊まって、翌日は何々見物とか書かれているけど、これは結構、『良い旅』をしている層です。

そうかと思えば、今読んでいる『諸国旅人帖』では、行き倒れた旅人を、尾鷲や熊野の人たちがどう助けて、故郷に送ったか…という話が載っているんです。
尾鷲の浜で行き倒れている人を見つけたら、庄屋さんに連れて行って、医者に見せて養生させる…と書かれています。
行き倒れている人を見つけたのに、何もしないで野垂れ死にさせたら、罰せられるというシステムが出来上がっていたんですね。

しかし中には、行き倒れて亡くなった人もいます。
持っている往来手形に「この者がもし死んだら、私どもの村に知らせてもらわなくて結構です」と書かれていることもあったようです。
「お慈悲を持って、あなたのお墓の隅っこにでも埋めて下さい」という意味で、そういう旅人もいたんですね。

東北の、福島や山形からお伊勢参りに来た人の記録も残っています。
時期的には、秋の刈り入れが終わって、次の田植えの時期まで…つまり半年ぐらいの間ですね。
昔はそんなに旅に出られないから、一度出たら長い期間帰らないんですよ。

実は熊野の『野』という字には、未開の地という意味があるそうなんです。
世界遺産である、吉野の野、高野山の野。
熊野の熊は隅っこという意味。
つまり熊野は、『隅っこの未開の地』という意味。

『秘境』と言われる場所は、昔の人も今の人も訪れたくなるんでしょうね。